みきです。
今回は、図書館で子供の頃大好きだった絵本を見つけ、久しぶりに借りて読んでみたら、子供時代とは全く違う所に心を動かされ、思わず泣いてしまったお話。
子供の頃思っていた絵本の世界と全然違って見えるのは、人生50年近く生きてきた自分と重ねて読んでいるからなのかもしれない・・・。
私を泣かせた絵本「ぐるんぱのようちえん」は、色々な事に気づかせてくれました。
アラフィフを泣かせた絵本、「ぐるんぱのようちえん」。
久しぶりに読んだアラフィフを泣かせた「ぐるんぱのようちえん」は、こんなお話です。
「ぐるんぱのようちえん」の優しい世界観が出ているなぁと思った、読み聞かせのYotube↓
失敗続きのぐるんぱと自分を重ね合わせて涙
子供の頃この本を読んだ時は「ビスケット美味しそう!」とか、「ぐるんぱの幼稚園、楽しそう!」という感想しか抱かなかったのですが、時を経て読み返したら、行く先々で断られてしょんぼりするぐるんぱと、自分の姿を重ね合わせて泣けてきたんです。
私も、「こんな仕事に就きたい」と思ってスキルアップの勉強をしてきたのに、それが「未経験」とか「経験が少ないから」実を結ばないこと多くて、そんな自分と、ぐるんぱが重なって見えたから。
ぐるんぱ、つらいよねぇ・・・。
感情移入して読んでたら飛び込んできたのが、このフレーズ
しょんぼり
しょんぼり
しょんぼり
しょんぼり
しょんぼり。ぐるんぱのようちえんより
ほんとに がっかりして
びすけっとと おさらと くつと ぴあのを すぽーつかーにのせて でていきました。
また、むかしのように なみだが でそうになりました
これは、とどめの一撃、でした。
もう、号泣です。
ぐるんぱと重なって見えた過去の失敗たち
8年前の転職失敗がフラッシュバック
ぐるんぱに感情移入しているうちに、過去の自分の失敗が次々と脳内に蘇ってきました。
丁度40歳の時に会社を辞めてWebデザインスクールに通い、少しでもWebデザイン要素がある会社での転職目指して応募するも、全然書類が通らなかった自分。
その後、Web系転職は諦めて、経験がある事務職正社員を目指しても、全然面接が全然通らなかった自分。
正社員転職を諦めて、派遣社員として働き始め、スキルアップの為にでExcelなどのソフトを学んでも、「実務経験がその領域では足りないから」と、派遣会社の社内選考で落とされた自分。
応募しても、年齢と未経験で相手にされなかった自分。
面接受けても、採用されなかった自分。
誰からも、ほしいと言われなかった自分 etc
そんな過去の自分と、ぐるんぱが、重なって見えて。
「どんなに努力して技術を身に着けても、どうせ選ばれないんだーーーーッ」
と、過去に涙したときの生々しい感情が蘇ってきて、まぁ泣けること泣けること。
3~4年位前に、SNSで当時アラフォーの女性が「30代後半で部下持っていない女性ってアリエナイ」と投稿していたのを見て、「それって時代によるんだよ」と心の中で毒を吐き、そっとその人をミュートにしたことも思い出しました。
(あなたの世代なら、「女性活用」叫ばれてたもんね。と、やさぐれてました)
失敗は「時代ガチャ」のせい
心の奥底で、そんな思いがくすぶっていた火種が、まだ残っていたんだなぁ・・・。
報われない努力に被害者意識炸裂
その後も、オンラインスクールが増えてWebデザインを教える学校が増えたコロナ禍のStay Home期間、「もう一度Webデザインを学びたい!」と前とは違うWebデザインスクールで学んだのですが。
少しでもそこで学んだコーディングやPhotoshop使える仕事の派遣先を!と探しても、「未経験の壁」はぶ厚くて、「あなたのスキルで紹介できる先はありません」と取り合ってもらえなかったり。
(ってゆーか、「未経験可」という文句で釣ってておきながら「実務経験3年ないと無理」とか言ってきて。そんだけのスキル求めて派遣の待遇ってアリエナイんだけど、足元見過ぎじゃね?と憤慨したり)
ほんの少しでも、HTMLを編集できるとか、Photoshop使います的な仕事に応募して採用されても、現場に行ってみると、ほとんどコピペや単純な作業だったり etc
というのを思い返し、ますます涙が止まらくなりました。
「年齢行ってて経験ない人は、仕事選ぶなってこと?!」
「就職氷河期で苦労してやっと入った会社では上にバブル世代多くて。その人達がポジション占めるから、マネジメント経験なんて積ませてもらえなかった時代ガチャなんだけど」
と、半ば被害者意識に駆り立てられたりもしました。
はい。超~嫌なヤツです。
自分でも、マジ引くわ~。。
他の人の努力に目を向けず自分で勝手に自己嫌悪
同じスクールで学んだ人たちが続々とWebデザイン系の仕事に就いている一方で、学んだ事を仕事に活かせてない自分に、勝手に肩身が狭い思いをしていました。
誰も一言もそんな事を言っていないのに「学んだ事活かせてないダメ人間」と、学んだ事をお金にできない自分って、価値ねぇな・・・なんて、自己嫌悪にも陥ってたりしてました。
単に、仕事をゲットしている人は「やるべきことを、ちゃんとやっている」のに対し、自分は「やるべきことをやっていないだけ」なのにね。
オトナゲナイ。。
南~無~
ポクポク・・・・
チーーーン
もう、克服していたと思ってたのに・・・。
乾いたと思っていた心の古傷が、まだ生な部分が残ってたんだなぁ・・・。
感情を感じ切った後に悟ったこと
感傷に浸りながら、何度も、何度も、絵本を読み返し、思いっきり泣いてたら、なんだか気分がスッキリしました。
感情を感じ切ると、スッキリするものなんですね。
冷静かつ客観的に振り返って見えてきたこと
こう書いてみて、私ってホント、「仕事で評価されたい欲」が人一倍強くて「仕事で選ばれない=価値がない」という価値観にまみれてたんだなぁ・・・と思い知らされました。
山羊座の「社会的成功こそ価値!」というのが行き過ぎててヤバい方向に行っているわー。。
就職氷河期の同世代だって、活躍している人はいくらでもいるし。
同じ技術を学んで身に付けた若い人たちは、その仕事をゲットするために物凄く努力して、やるべきことをきちんとやっているのに、私はそれすら見(ようとし)てなかったし。
私は、その人たちの努力しているところをすっ飛ばして「いいなぁ・・。」と羨んで見ていたんだなぁ・・・。
あー、恥ずかしいい。。大人げない・・・・。もうすぐ50なのに・・。
感情を開放すると、昂ぶっていた感情がクールダウンし、客観的に自分を見ることができると実感しました。
そして、「どうせ自分は年だから/経験がないから」って、イソップ童話の「酸っぱいぶどう」みたいに自分の感情を無いものとして蓋をしていると、思考が腐ってヘドロみたく心にへばりつくんだな、ということにも気づきました。
ぐるんぱから教えられた大切なこと
さらに、何度も読み返し、泣き尽くす内に、あることに気づきました。
それは、ぐるんぱが
がっかり しょんぼりはするけれど、私みたいに「どうせ自分はダメなんだ」という自己否定は、一切していないということ。
そして、”しょんぼり”という感情に蓋をせず、素直に感じ切っているからこそ、次の仕事に張り切って取り組めているということ。
他人に左右されない「自分軸」=「自分で自分を活かす」こと
ぐるんぱ、めそめそ泣き虫で弱いヤツだなぁ・・・。
最初はそう思っていたけれど。
ちゃんと自分の感情を感じきって消化して、気持ちを切り替えて次に行けるという、とてつもなく素直で強い象だったんだ。
そして、持っているものを活かすアイデアや視点を持つ、賢い象だったんだ。
ということに気づき。
さらには、幼稚園を開いたラストシーンで
「ぐるんぱは もう さびしくありません」
と書いてあるのに、心を撃ち抜かれ、感動のあまり、またもや泣けてきました。
選ばれないなら、自分でじぶんを活かせばいい。
文字としては書かれていないけれど、そんなメッセージが伝わってきて。
私も、
「選ばれなければ、自分でじぶんを活かす場をつくればいいじゃん」
と、思ったのです。
雇われ仕事では選ばれなかったけれど、身に付けた技術を使いたければ、じぶんで活かせばいいんだ。
そういえば、このブログを始めようと思ったキッカケも、「学んだ事を活かす場所を作りたい」だったし。
改めて「どうしたいか?」を自分に聞いてみた
で。
改めて自分に問うてみたんです。
「稼ぎにつながらなければ、やりたくないのか」って。
私は、即答で「No! NO!NOおおおおおおおO!!!」
でした。
たとえお金にならなくても、やりたい事には変わりはない。
何なら、お金払ってでもやりたい!!
だから、学んでいたんだよな、Webデザイン。
しかも、2回も(笑)
これ、趣味でーす💖って言ったら超ブルジョワな趣味だわ。
稼げなくても、お金払ってでもしたいことこそ天職
よく、コーチングをされている方にされる質問で「もう仕事をしなくても十分お金があると仮定して、それでもやりたい事はなんですか?」というのがあるけれど。
まさに、私にとってはPhotoshopやイラストレーターを使って画像を加工したり、このブログのカスタマイズみたいにちょこっとCSSいじってみたりすることが「もう仕事しなくてもお金余ってる状態」であってもやりたい事。
逆に、仕事として請け負ってしまった場合、自分の納得のいくまで時間をかけて作り上げることができず、効率重視になってしまうから、私の性格からすると、趣味で活かすが一番自分にしっくりくるのかもしれない。
デザインを考えるのに、めちゃくちゃ時間かかるし。。
このブログのアイキャッチ画像も、自分でデザインしているけれど物凄く時間かかってます💦
西洋占星術的な観点から見ても、太陽が意味する「自分を輝かせる」のは、稼ぐに直結する「仕事」だけではなく、自分の魂が喜ぶ「ライフワーク」も含まれているとの事。
だとしたら、稼ぎに直結しなくても、ライフワークとして充実させていけばいいじゃんって思ったんです。
時代的に「稼ぐことこそ価値がある」という声が大きい一方で、「稼がなければ」と焦り、疲弊していく人も少なくないと思います。
そんな時に、「心の火を燃やせ」と、鬼滅の刃的なセリフ的に心を奮い立たせてくれることは、実は「お金をもらえなくてもやりたい事」なのかもしれない。
それは、いつか実を結んで、お金を生むかもしれないし、芽が出なくてお金を生まないかもしれない。
けれど、「お金をもらえなくてもやりたい事」をやっている時点で、お金になればラッキー、ならなくても楽しいからOKとなるんじゃないかな。
なーんて思った次第。
甘い!?
甘いかもしれないけど。
そこまでやりたいと思えることに出会えたなら、「稼げるか否か」という視点は除外して、しばらくやってみた方が良いんじゃないかなぁ。
と、この絵本を読んだ後、改めて思った次第です。
まとめ
子どもの頃大好きだった絵本を、大人になって読み返すと、色々発見があってビックリしました。
その時の自分の経験値というフィルターを通して、世の中を見ているんだな。
ということも痛感。
その時の自分と、こどもの頃の自分の感性って、変わっている点あり、変わらない点もありなので子供の頃に好きだった本や絵本を読むと、色々気づかされれる点が多いなと思いました。
自分のコアな部分を知るには、子供の頃好きだった本を読み返してみることは、お勧めです♪
凝り固まっていた「思い込み」を外してくれるかもしれないですしね♪
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